新市立病院のあり方を考える市民の会

自治体病院の成り立ちと市立病院の置かれた位置・役割・現状認識

昭和25年、日本は敗戦から立ち上がるため国の医療体制の整備を行なった。自治省(当時、現総務省)は、まず医療が乏しい離島、僻地、戦争で焼け野原となった地域に自治体病院を建設した。厚生省(当時、現厚生労働省)は、大きな病院を有する日赤病院、済生会病院、農協病院のテコ入れを行った。文部省(当時、現文部科学省)は、国立病院の新設や建て替えをしてきた。厚生省は、医療の質の向上を図るため、循環器・がん・精神病・小児医療・高齢者医療・国際医療の分野に寄与する「各種国立センター」を時代の要請に合わせて設立し、今日に至っている。

田中角栄氏が首相だった時代に、「1県1医大構想」が実現され、私立医大の新設と相俟って、医者が増えた。昭和22年と昭和46年のベビーブームで出産数は270万人を超え、若年人口の増加と大都会への人口集中に対処するため、病院は規模の拡大と大都市県周辺への病院建設を行った。その結果、日本は世界一病床数(病院)が多い国になった。医療の進歩、経済発展、国民皆保険制度、多数の病院、健康に対する国民の意識が世界一の長寿国家を作ったと言っても過言ではない。

ところが、経済の失墜に合わせるかのように、出産数は、最盛期の1/3まで低下し、若年人口(生産人口)の減少と高齢人口の急増で、国民皆保険制度の維持が困難になってきた。一方、医師の育成と進路を長年握ってきた医局講座制度が弱体化し、医師の大都会集中により、地方が、従来の医療を維持することが困難になってきた。医師も困難を伴う診療科を敬遠する傾向にあり、医療の質と人材確保が益々難しくなっている。

国は、世界一の高齢国家に対し、急性期重視から回復期重視の医療に大きく方向転換をした。それが、「入院中心医療」から「在宅中心医療」への医療のパラダイムシフト(価値観の転換)である。保険点数は、急性期患者を集め、手術を中心に行う病院以外は収益が上がらないよう改定した。

医療圏内では、「広域型急性期病院」と「地域密着型病院」に病院を二分し、後者は、主として高齢者対応の病院であることは厚労省の基本方針である。市立病院は、あくまで後者である。

時代の変遷に合わせ病院も変化が求められている。そこで、市立病院の置かれた位置と役割と現状認識を考察する。平成22年、松本市と波田町の合併により波田総合病院が松本市立病院になったが、中規模病院が市立を名乗ったことが間違いの始まりである。何でも出来ないのに総合病院を名乗っていたのは、信大病院からの多量のパート医師に頼ってきたからである。

その後、DPC(診療群分類包括評価)の採用と相俟って医師・看護師・職員を無定見に増やし、バブル状態にしたのが現在の病院である。経営的には平成23年から現在まで長期の赤字が続いているが、民間病院と異なり誰も責任を取らないことが問題である。
市民は、民間ではとっくに潰れている病院が存続しているのを不思議に思う。その訳は、行政(市)が自治体(市立)病院に税金で多額の赤字を補填しているからである。

今こそ、自治体病院のあり方を根本的に見直す時期である。