1.はじめに
市立病院は果たして生き残れるだろうか。長野県一、医療の質と量に恵まれた松本市が波田に国の地域医療構想に反する「巨額病院」を作っても、180床7診療科の小病院は大赤字で破綻する。国は増えすぎた病院と診療所を縮小する時代である。管理者が西山地区唯一の病院と大風呂敷を広げても、医療の質が高くなければ患者は集まらない。市立病院は波田総合病院時代から経営ができていない。総務省(監督官庁)は助成しない。市の税金補填は限度がある。
人的産業である病院は「箱」より「人」がより大切であるが、殆ど検討されてこなかった。「市民の会」は、無駄になる巨額な病院と危険な場所に建てることに反対し、病院職員が声を上げるよう再三喚起してきた。職員が沈黙する理由は3つある。北野管理者が病院のスリム化に猛反対し①経営改革を曖昧にして職員の身分を形だけ保証した。②市長の意向に反すれば病院が建たなくなると言う。③管理者は職員を囮にして、市長がそれに翻弄されてしまった。
物言えぬ集団と化した職員は、厳しい医療の現実を見て一致団結しない限り病院が潰れる時代を乗り切れないだろう。
2.管理者の統制欠如 不正と無責任が病院をダメにした
二つの重大な事件
1)管理者は透析患者のカテーテル挿入での死亡事故を隠した
告発は市立病院職員である。告発者は実名を書くことを極端に恐れている。管理者の強権的な言動に、職員が怖がっている。事務部長が公益通報者探しを行えば兵庫県知事の違法行為と同じになる。告発は、市立病院の統制と法令遵守が壊滅状態にあることを明らかにした。
最も重大なことは、管理者が死亡事故を隠したことである。被害者家族が「公にしないで欲しい」と言ったというが、それは関係ない。院内の事故調査委員会が事故を検討し、前病院長が国の「事故調査委員会」に報告したが、報告義務がある「松本市長」へ報告をしなかった。管理者の判断で死亡事故を隠すことは絶対にあってはならない。こんなことが許される市立病院は病院でない。
北野喜良管理者の行為は引責辞任に相当する。松本市と市議会は厳正に調査し適正に対処する責任がある。
2)高齢者の腰椎圧迫骨折の誤診と不十分な対応
亡くなった患者の夫である佐藤八郎氏の記載である。佐藤氏は病院医師の対応に不満を抱き市長に手紙を書くも病院総務課に相談するよう言われ諦めた。既に病院に訴えている。そこで市議会有志宛に告発文を出した。それを受けた議員は、市立病院に事実確認の機会を設ける通告をしているが返事がない。
よく考えてみよう、市立病院は市民の税金で運営している病院である。
管理者は、なぜ市議会議員の要請をすっぽかすのか? あり得ないことである。
3.おわりに
市立病院が行う記者会見場の正面に「患者さんの権利と安全」を守るという病院のスローガンが常に張り出されている。
市立病院では、それと真逆な行為が平気で行われていることに寒気を覚える。
7月22日は両副院長と各部長に知らせず、看護部長と事務部長を外し、病院長、管理者、市長、弁護士で行った記者会見は異様であった。
医学が進歩しても医療事故は発生する。克服するために事故隠しはあってはならない。高齢者が増え医療は「治す医療」から「治し支える医療」に変わった。
市立病院は患者さんの訴えをよく聞き患者さんに寄り添う姿勢がやや欠けるのでないか。自分達が働く病院を自分達で良くしてゆく気概が弱いのでないか。
一番は管理者の統制欠如と不正と無責任により職員の信頼を失った。
管理者は基本設計業者の選定で不正をした。病院建設部門の職員を全員交代させ、基本設計業者の排除など不正を隠すため事情を知る人間を全て排除した。
松本市にとって市立病院建設問題は、最大の重要案件になっている。
管理者は大きな「箱」を建てることのみを目的化し、どのような病院が波田に必要かを疎かにした。専門者会議の妥当な「提言」を否定したこと自体が誤りであった。今、補助金が出ない私立病院や公立病院は必死の経営努力をしているが、一向に展望が開けない状況にある。
総事業費153億円、銀行金利50億円の杜撰な計画に賛成する議員は他の病院が潰れても市立病院は残るという。その根拠は一体何なのか?どんな診療が出来るかも考えていない。実に愚かである。議員は市民が見ていることを忘れている。対応を誤れば、松本市は第二の夕張市になりかねない。
8月7日、病院職員150人以上が集められた。渡辺事務部長は「職員が出産事故を外部に漏らしたのであれば犯人を捜す」と発言した。他に都合の悪いことを隠しているのであろう。職員は執行部の理不尽な考えに猛反発し、事務部長は発言を撤回し陳謝した。強権的な病院運営と公益通報者を保護しない北野渡辺両氏に対する批判が渦巻いている。国と全国の市町村は、松本市の病院建設問題を注目するだろう。
松本市は、国の間違った医療政策では医療・福祉が崩壊してしまう事実をしっかり認識して市立病院建設に冷静な判断をすることをお願いする。
Ⅰ.管理者は透析患者のカテーテル挿入での死亡事故を隠した
市立病院職員からの告発状
須澤様 百瀬様
あまりにもひどい状態になっているので内部告発します。諸悪の根源は北野病院指定管理者です。7月22日の記者会見での分娩休止は現場の人間には知らされていなかった。当日朝に一部の職員に決定事項として話があっただけ。連休中に管理者と市長で決めたらしい。現場は大混乱。23年1月の時と全く同じ。事故の原因をコミュニケーション不足としているが、自分がそれを実践している。近隣の病院に妊婦さんを受け入れてもらうとのことだが、事前の根回しは全くされておらず、患者さんのことを一切考えていない。出産間近で病院を変わることがいかに精神的・肉体的負担になるかが全く分かっていない。分娩休止決定の責任の所在を曖昧にするために幹部会議を通して決定したことになっているが形だけ。会見後に有無を言わせない事後報告があったのみである。
- そもそも病院幹部は管理者が選んだイエスマンのみで構成している。特に病院長と看護部長は完全な傀儡である。管理者に何も言えない。
- 記者会見で臥雲市長が同席したのは患者家族がそれを強く望んだから。市長ははじめ出席を渋っていた。事態の重要性を慮って出席した訳ではない。患者家族は早く公表するよう要望していたが、分娩を休止しろとは言っていない。休止するなら事故が起きた翌日の4月から休止すべきで今回の唐突な休止は完全なパフォーマンス。
- 医療事故の概要については概ね正しく、助産師に責任があるのは否めないが、他に話してない重要なことが沢山ある。助産師2人のトカゲの尻尾切りで片付けようとしている。
- 2021年12月カテーテル挿入による死亡事例が発生。完全な医療ミスだが、家族の希望と称して管理者の判断で公表していない。松本市の内規では病院側に過失があった場合はプライバシーの保護を万全にした上で全例公表することになっている。管理者による隠蔽と言わざるを得ない。
- 2023年1月に管理者の発案で産科廃止が検討され、同5月に地域住民の猛反対で継続が決まった。この影響で有能な助産師が複数退職、分娩数が激減、また基本設計が1年延期になったことで委託料を7千万円余計に支払うことになった。ここから産科の崩壊が始まった。激減した分娩料収入、後述の病理委託料と合わせこの年1億円近い損失が生じた。管理者は責任を取らず言及すらしていない。
- 2023年3月(事案の発生は2022年)遺体の取り違えにより無関係のご遺体を病理解剖に供するという事故の発生を公表した。管理者は主治医のミスを病理医のミスであるかのように発表し、信州大学医学部病理科から大クレームを受け病理医師の派遣を打ち切られた。それまでは病理標本の提出から10日程度で結果を得ていたが、外注することになり結果まで3週間かかるようになった。病理検査は臨床の根幹をなすので、治療の開始時期が遅れ大変困っている。病理科からは管理者がいる限り病理医師は出さないと言われている。
- 管理者が国立病院機構から招聘したM副看護部長の、部下の能力を超えた業務を押し付け(パワハラ)のため、病棟師長、副部長の計4人がうつ病を発症し、役職離脱となった。その内1人は助産師のリーダーで、要であった産科副師長で1年以上休職している。病院長、看護部長に訴えても管理者案件なので何も言えず、管理者自体もせっかく来てもらったのだからと諌めることをしない。
- 新病院建設による盛り上がりは、病院職員内で一切ない。今でさえ厳しいのに、新病院建設による赤字増加→人件費削減のための人員不足→更なる過重労働による肉体的・精神的疲弊が目に見えているので新病院建設を歓迎するわけがない。今回の医療事故は産科内部の分娩取扱体制が問題にされているが、背景には助産師の大量離職、残った助産師の過重労働の影響がある。
この職場環境の悪化の原因は管理者の思いつきによる不適切な指示と無策による。病院組織、特に執行部に問題がある。病院は組織が内部から崩壊している。
改善するには現執行部の管理者、院長、看護部長に辞めてもらうしかない。
上記は2025年7月24日消印の匿名の手紙で、市議会に通告してもらうことが必要と記載があります。私達(須澤・百瀬)は、あくまで公益通報者の権利を守る必要があります。この件は一部の市議会議員に文書で通告しました。
「もの言えぬ病院職員」が必死に訴える言葉は重いものです。病院で死亡事故が起こっているのです。議員は調査権が与えられています。しっかり対応することが市議会の役割です。
1)事故の真相に迫る
2021年12月カテーテル挿入による死亡事故が発生。完全な医療ミスだが、家族の希望と称し管理者の判断で市に公表していない。松本市の内規では病院側に過失があった場合はプライバシーの保護を万全にした上で全例公表することになっている。管理者による隠蔽と言わざるを得ない(職員告発)。
透析患者の血液浄化を行うため、内頸静脈から中心静脈にカテーテルを留置する際、発生する心タンポナーデは稀だが致命的な合併症である。カテーテルやガイドワイヤーによる心腔・血管損傷が原因である(医学的説明)。
病院は、家族に100万円以下の弔慰金(市に報告しない額)を支払っている。病院の事故調査委員会は原因を究明し、中村前病院長が「国の事故調査委員会」に報告している。調査記録は2023年事故調からの指導書と共に病院に存在する。
管理者は市長(市民)に報告する義務があった。患者家族が公表を望まないと述べ市に報告しなかった。透析患者に影響が及ぶことを恐れたのだろう。
病院の患者が死亡しているのである。隠蔽はとんでもないことである。こんなことが許されるなら市立病院は最早病院とは言えない。市議会が調査する必要がある。
2)なぜ告発文を公表したか
公表にあたり、「市民の会」では慎重に対応すべきという議論があった。告発者の言い分に流されていないかと告発文の信憑性である。一番目は管理者の一存で「死亡事故を隠蔽した」ことは重大な法令尊守違反であり、事実を明らかにする必要がある。二番目は「腰椎骨折患者の診断と取り扱い」については、夫が市長と市議会に訴えている、それに答えない市立病院に問題がある。・・・を考え公表に踏み切った。
3)市立病院の「患者さんの権利と安全」は死語になっている
2018年中学生の脳ヘルニア見過ごし死亡、2019年腰椎圧迫骨折誤診、2021年透析患者がカテーテル留置ミスで死亡(未発表)、2022年病理解剖に際しご遺体を取り違えた、2025年モニター監視を怠り新生児を低酸素性虚血性脳症にした。市立病院の医療過誤は初期対応の悪さ、誤診、事後検証、職員がミスを共有しているか、医療事故に対し、病院幹部に根本的な欠陥がある。
人が行う医療行為は、ヒアリ・ハットから死亡事故まで起こり得る。緊張感が乏しくないか?終わったことはどうでもよいのか?事故防止研修会を定期的に行っているか?幹部は安全対策を総合的に行っているか? である。
医療ミスを開示すべき理由(医療の倫理のジレンマ:バーナード・ロウ著 北野喜良ほか監訳)
- 医療ミスの開示により患者が尊重される
- 医療ミスの開示は患者に有益である
- 医療ミスの開示は医師にとっても有益である
- 1)医療ミスの開示をしても医師の誠実さは損なわれない
- 2)医療ミスの開示により医師はミスから学ぶことができる
- 医療のミスを開示しないと医師のほうが被害を被る
- 1)医師のミスの非開示は医師の評判を落とす
- 2)医師のミスの非開示は一般市民の医療に対する信頼を損なう
- 言うこととやることが一致しない北野喜良氏が管理者を続けることは無理であろう
従来、病院は「箱」を中心に議論された。病院は人的産業なのに、運営する「人」について議論されなかった。今回の告発で、市立病院の実態の一部が明らかになった。病院職員か被害を受けた患者さん以外は「人的」問題は分からない。
しかし、死亡事故という危機的な状況では、病院幹部の対応や職員の意識が瞬時に明らかになる。新病院が出来ても運営は不可能だろう。
職員のプロ意識と自立する強い意志がない限り市立病院は生き残れないだろう。臥雲市長はまだ「巨額病院」に未練がある。
Ⅱ.高齢者の腰椎圧迫骨折の誤診と不十分な対応
信頼される松本市立病院になって欲しい
私は松本市波田在住の87歳の高齢者で、長年に亘って車椅子生活をしています。全国で病院の経営が困難になっていると聞いています。今、多額のお金をかけて市立病院の建て替えを優先することがよいか疑問に思います。
令和6年12月、臥雲松本市長宛に市立病院の患者対応に関する訴えを手紙に書きました。ところが市秘書課は「病院総務課に相談してください」とのことでした。病院に電話すると、A相談員が「総務課は忙しいので、自分が対応します」と述べました。これまでも、私に対して相談員はそっけない態度でした。高齢者の願いが軽んじており失望しました。
市が病院を庇っているので、令和7年2月8日、一部の市議会議員さんに「松本市立病院 医療ミス隠蔽に関する告発書」を出しました。議員さんからは電話、手紙、訪問していただき、激励され感謝しています。 地域住民に愛され信頼される病院になって欲しいと心から願い、このたび全市議会議員さんはじめ医療関係他の皆様に実態を伝えることにしました。
1)経過について述べます
令和1年5月8日未明、妻がピア山形でショートステイ中、部屋で転倒し腰を打ちました。激しい痛みを訴え翌日5月9日市立病院整形外科を受診しました。「骨に異常なし」でそのまま帰宅しました。それでも痛みは治らなく、5月14日には食事が取れないほどになり、その旨を病院に伝え入院となりました。
この時は知る由もありませんでしたが、レントゲン写真の読みに誤りがありました。整形外科のM先生は腰椎のX線写真を3回診断していますが、最後まで骨に異常はないと述べています。
私は妻が元気になって家に帰れると信じていました。それが妻の強い願いでもありました。今でも思い浮かぶのは、「我慢すれば退院できる」と必死に痛みに耐えながら、5月22日に「今日は歩行訓練をした」と笑顔で話していた妻の姿です。それが妻の最後の笑顔になりました。23日から妻の顔は能面のようになり、声をかけても身動きも返事もしません。少し強めに声をかけると唸るように「ヤブ医者だ!」と叫びました。M先生の「骨に異常がない」という言葉を信じ家族に心配をかけまいと必死に痛みを耐えていた妻、医師に裏切られた悲痛な叫びだったと思います。歩行訓練の後、「頑張って食べる」と約束したものの、その後妻は激痛のためか返事はなく、私が両方の下肢を触っても反応がありませんでした。食事を取ることもできず衰弱するばかりでした。
6月10日、最終会議では「主治医、看護師、病院ケアマネ、福祉ケアマネ、私」が面談室にて、栄養剤を注入するも体が受け付けず、胸水・腹水として貯留してしまうため、自ら食事をする以外方法はないと言われた。それ以外の丁寧な説明は一切ない。看護記録には13日間点滴して病状が悪化し酸素吸入までしています。なぜ、もっと丁寧な説明をして慎重に治療しなかったのですか。
入院から約2ケ月後の7月12日、病院から「これ以上は受け入れができない」と告げられ中川病院を紹介されました。このとき紹介状は渡されませんでした。
中川病院でのレントゲン検査で腰椎3ヶ所の圧迫骨折が判明しましたが、その時にはすでに回復が見込めない状態で8月11日に息を引き取りました。
8月20日、妻の死後に県民共済保険の診断書をお願いするため市立病院を訪れました。妻の主治医であった内科のS先生(現病院長)にお願いしたところ、先生はX緑写真を私に見せながら「骨に異常がなかった」と説明しました。私はこの写真を見て唖然としました。私でも骨の異常が分かりましたので、そのX線写真を撮影しました。そして、「腰が痛いのに、なぜコルセットを使用しなかったのか」、「病名の記載順も食欲不振が先で腰痛が後になっているが、逆ではないか」と質問しました。すると、S先生は折れていないのに、そんなことはする必要がないと言いました。気分を悪くされたのか「病院の診療にミスはない、逆の内容を書いたほうがよいなら、そのように書く」と言われました。
11月10日、8月に送付した書類について返答がなかったため、県民共済保険会社に問い合わせました。すると「病院からカルテのコピーは送られてきたが、X線写真は含まれていなかった」との回答でした。そこで私が撮影したX線写真を送付したところ、保険会社から「明らかに病院の誤診である」との報告を受けました。
翌年私が市立病院整形外科で追及したところ、M先生は3ヶ所の骨折のうち1ヶ所は「誤診である」とようやく認めました。しかし、妻への供養の言葉は一切ありませんでした。さらに「衰弱したのは、食事を取らなかった本人のせいである」と言わんばかりの態度を取られ、強い憤りを感じました。
患者の多くは医師を信じて治療を受けています。転倒して激痛を訴えた場合、単なる打撲だけではないことは素人でも分かることです。このような明らかな診断ミスがそのまま見過ごされてよいはずはありません。
妻が受けた病院の対応について、今まで公にしなかったのは、市立病院が良い病院になって欲しいという妻の意思を尊重したからです。妻は元気なころ、何年も病院のボランティア活動を続けていました。また市立病院の障害者用の駐車場が現在の広さになったのも、妻の提案によるものでした。私も同じ思いから長年この問題を公にすることを控えてきました。その判断が本当に正しかったのか日々葛藤を抱えていました。思いを打ち砕いたのは市立病院の対応でした。
令和5年11月6日、私は車椅子利用者として必要な装具の申請書を市立病院に依頼しました。しかしM先生は看護師を通じて書類を突き返してきたのです。まるで邪魔者扱いにされたように感じました。
令和6年3月8日、N前病院長に妻の対応について手紙を書きました。N先生の返事は「難しい病気や後からわかる病気もある。奥さんの診断と治療について、整形外科に落ち度はなかった」の一点張りでした。「撮影したレントゲン写真では明らかな骨折は確認できなかった。MRIしか分からないような微細な骨折もある。・・他の整形外科医も同様の見解。打撲、筋肉痛の診断で骨折はないのでコルセットは処方しなかった。5月26日、27日看護記録の疼痛の訴えはない、28日以降の体力低下、廃用状態については、胸水貯留(心機能低下)、偽膜性腸炎によるものと主治医は判断しています。」と書かれています。
私の装具の申請に際し「当院と佐藤様との間でわだかまりや、軋轢があったわけではありません。」と書かれています。そうであれば、なぜ書類を突き返したか。私は、N前病院長の説明には納得していません。
腰椎の圧迫骨折は本当に診断が難しい病気でしょうか。主治医と整形外科医に落ち度はなかったのでしょうか。妻は激痛のため身動きもできなかった。苦しんでいる患者を放置していたのに、何も落ち度はないとは言い切れるでしょうか。妻が痛いと言わなかったのは、何を言っても無駄だと観念していました。
病院長として、先ず職員を庇うことではないはずです。私は、病院が杜撰な対応を反省して、きちんと謝罪するのが筋だと断腸の思いでいます。
A相談員にカルテの内容を確認したいと申し出ました。ところが本人や家族が希望すれば病院側にはカルテを開示する義務があるにも関わらず、開示を拒否されたのです。妻への供養の言葉もなく、私に対しても冷たい態度を取る病院に納得できず、説明を求め続けました。らちが開かないので、私は事実を公にする決意をしました。すると相談員は娘に事実と異なった悪意ある説明をしました。その後娘から「子どもが病院に行くので、騒がないで欲しい」と懇願されました。仕方がなく黙ることにしましたが、一日たりとも悔しい思いは収まりませんでした。このようなことが独断で出来るとは到底思えません。病院が患者や家族に口止めをするようなことはしないはずです。病院全体でミスを隠し、弱い立場の市民に圧力をかけるようなことはあってはならないと思います。
2)私がやるべきこと
私は妻の治療の全てを知るため入院カルテ、検査記録、投薬記録、看護記録の開示を病院に求めました。自分でも腰椎の構造や腰痛の扱いを勉強して事実を明らかにすることが私の役割という覚悟ができました。
現在、お腹の手術で、患者さんは手術後3日目から自分でトイレに行くことになっているそうです。腰痛の治療も、できるだけ早くから歩行訓練をはじめないと寝たきりになることを知りました。
当初、私は「早期にリハビリを行なったのは医療過誤」と考えましたがそうではないことが分かりました。
しかし妻は、5月8日に転倒し22日のリハビリ(歩行訓練)後の23日から激痛で寝たきりになりました。病院は「整形外科の対応は理にかなっており、落ち度はない」と強調しています。そうであるなら、なぜM先生は私にきちんと説明しなかったのですか。看護記録を見ると、妻は終日、腰部の激痛を訴えていたのに、S先生は鎮痛剤を処方していません。こんな状態で妻は起床や体動や排泄や着替えもできず、食事も充分とれなくて衰弱してゆきました。私は病院の患者管理について、強い疑問を持っています。
S先生には妻の主治医として長年糖尿病の治療をしていただき感謝しています。先生は妻が痛いと言わなかったと述べています。しかし、看護記録を見れば、一日中痛かったことが記載されています。医師自ら定期的に病室に行かないからではないですか。M先生が骨折はない、打撲と筋肉痛と診断したから最後まで単なる打撲だと信じたのですか。
5月27日のCT検査は何のためですか、両下肢の異常は何が原因ですか、検査結果は全く知らされていません。患者は医師に遠慮して滅多に文句を言いません。温厚な妻が言った「ヤブ医師者だ!」、「もう、こんなところに居たくない!」は、今でも私の心に突き刺さったままです。
地元の病院が、これでは困ります。繰り返します。納得がいかないのは、S先生が書いた診断書「食欲がなく衰弱した、腰痛もあった」です。私が、腰痛が続き食欲がなかったのではないかと追求すると「そのように書いても良い」と述べました。市立病院は、こんなでたらめが罷り通るのですか。
最後に、病院相談室の医療コーディネーターの役割は何ですか。常に患者や家族の立場に立って、職員の至らない点や設備の不具合について病院幹部に上奏して改善に役立てる仕事だと思います。残念なことに相談員は私をクレイマー扱いにしました。コーディネーターに全権があるかのように振る舞い、カルテを見せることはできない、不評が広がるのを恐れたのか、娘や他に電話をかけたのは由々しきことです。やってはいけない患者と家族へのいじめであり、病院のスキャンダルです。正式に謝罪して下さい。妻に献身的に尽くしてくれた看護師さんには感謝しています。ところが、看護記録を確かめると、信じられないことが書かれていました。
<看護経過>
転倒しその後体動困難、食欲低下、点滴治療で経過観察、血糖コントロールし 徐々に食欲摂取増加し落ち着いています。継続される問題は退院後も解除が必要です。
<看護必要度>
寝たきりにてADL全介助を必要とし、時間で体位交換をした。介護用衛生用品の用意をおこなった、食事は手が届かないため、食器の蓋を取り位置を変える等環境を整えたが自力摂取できず全介助した。自分で身体を動かすことができない為に全介助で更衣した、退院のための移乗も全介助です。
3)最後に述べたいこと
私は、医学が完全でないことは分かっているつもりです。しかし、妻の苦痛をとることは出来たはずです。妻の入院記録を見る限り、病院の対応は褒められたものではありません。病院ぐるみで都合の悪いことを隠すのをやめて下さい。
身体の弱い私を、身を粉にして支えてくれた妻へのせめてもの供養として「病院に正式な謝罪」を求めます。病院はずさんな診療を行った医師の責任を明らかにすべきです。また、相談員の対応はもっての他です。市立病院は本当に大丈夫ですか。
市立病院の診療の実態を知っていただき、他にも、妻と同じような被害を受けている方々や市民の皆様に、ご理解いただき妻が最後の犠牲者であって欲しいと願っています。
人は誰でも病気になり、その時に頼るのはお医者さんと看護師さんです。市立病院が信頼される病院になって欲しいと心から願っています。
各位 様
令和7年6月吉日 〒390-1401 松本市波田6404-2 佐藤八郎
掲載は佐藤氏の了解を得ています。当事者の氏名をそのまま書かないよう変更してもらいました。
高齢者が増える時代、市立病院が地域の高齢者いじめをしたのは前代未聞である。